風のままに進むんだ

美しく帆を張れ!ここに書いたものが遺言だー!

新聞の終わりと新しい始まり

新聞が全く売れていない。
特に紙の新聞だ。

各紙は電子版の充足を図っているが、部数減は続いているというのが個人の感想だ。
日刊紙などの定期購読では軽減税率が適用されるが、縮小に歯止めがかかることはないだろう。

よく、「記者のレベルが下がった」というのを耳にする。
記事のレベルは下がったかもしれないが、記者のレベルはどうだろうか。

あまり変わっていないのではないか。
単に専門性の高い記事や分野が増え、記者のレベルが追いつかなくなっているだけのように思える。

求められているレベルが上がってしまったのだ。
新聞記者はそれぞれの分野における専門家だが、求められるものがあまりに増えすぎた。

一方で、有識者SNSのアカウントを持てば、レベルはバラバラだが誰もが新聞記者になれる。
それを寄せ集めていけば、新聞みたいなものができてしまう。
しかもタダで読める。事業の参入障壁は崩壊した。

まだ残っている新聞社の強みは、「組織であること」だろう。

今日は、誰もが発信者になれる世界である。
過去、我々に求められたのは情報を「収集」することだ。
今は、情報を「選択」することが求められる。

情報は十把一絡げであり、「信頼性」が大きな鍵を握る。
新聞などのマスメディアは組織としての「信頼性」が大きな武器であるから、まだ戦えると思うのだが。

情報を選択するのは面倒である。
新聞社は、選択の労力を取り去ってくれる存在だ。

また過去に書いたが、セレンディピティは、新聞の(新聞社ではなく紙の新聞という形態の、だが)大きな強みである。

新聞のこれからを注視したい。