風のままに進むんだ

美しく帆を張れ!ここに書いたものが遺言だー!

悲壮ではなく悲愴を感じる

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「なごみ管弦楽団」というオーケストラの、第12回定期演奏会に行ってきた。

曲目はボロディンの「中央アジアの草原にて」、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」、そしてチャイコフスキーの「交響曲第6番『悲愴』」である。

どの演奏も素晴らしかった。ラフマニノフのピアニストの方も本当に見事だった。
マチュアのオーケストラというのは、技量でプロに勝てるはずはない。それは当たり前だ。
大事なのは「信念」だ。何ができているかではなく、やりたいことは何か。
求められているものを追うのではなく、自らが求めるものを追えることがアマオケが唯一無二である点だ。小さな事故などどうでもいい。素晴らしい信念を見せてもらった。

指揮者のご挨拶によると、今年の2月に、楽団の創設者の方が無くなったらしい。悲愴を選んだのも、その影響とのことだ。アンコールのラフマニノフ「ヴォカリース」も、何とも切なかった。


今回聴いた曲は、どの曲も記事が1つ書けるほどの思い入れがあるが、今回は「悲愴」について書こうと思う。

この曲は、私の父親の好きな曲だ。

父は私が小さい頃から、車や家の中でこの曲をしばしば流していた。
日常的に悲愴が流れているのは、今考えればとんでもない家庭だったと思う。

お気に入りは1楽章の提示部後、ppppppという超弱音から一気にffの超爆音で始まる展開部だ。
父曰く「自分が死んだら葬式で悲愴を流す。で、この部分(爆音の展開部)で皆が驚くのを笑う。俺だけ死ぬのはつまらない。」
やべえ父親である(ちなみに元気であるため葬式はまだやっていない)。

僕の好きな演奏はいくつかあるが、総合的にはムラヴィンスキーの&レーニングラードフィルの1960年盤が一番好きだ。

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この峻厳で烈しい演奏は彼の指揮ならではである。烈しいが、弦合奏のユニゾンは精緻。
そして相変わらずレーニングラードフィルの金管はヤバい。唸りをあげて、咆えに咆えまくっている。

崇高さ・神秘性を求めるならフルトヴェングラー&ベルリンフィルがおすすめ。
文字通りの悲愴・悲しみを追い求めるなら、メンゲルベルグ&アムステルダムコンセルトヘボウの右に出る録音はないと思う。

父は1楽章の展開部を好んだが、僕が好きなのはコーダ~最後の部分。
ピチカートの下降音型「ド・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ…」が、全てに絶望して何もかも諦めたかのように、奈落の底にゆっくりゆっくりと墜ちてゆく。泣き疲れて意識が遠のき、眠っていくかのようだ。

この世のものとは思えないほど美しい。