風のままに進むんだ

美しく帆を張れ!ここに書いたものが遺言だー!

モーツァルト ピアノ協奏曲22番

先日、仕事で講演会を聞く機会があった。
400人ほど収容できるホールで行われた、それなりの規模のものだ。

このような規模の場合、だいたい開会前は室内にBGMが流れている。
クラシック音楽系が多い。成城石井の店内で流れているのと同じ系統の曲だ。場合によっては、開会前に眠くなる。

この日は、モーツァルトのピアノ協奏曲22番が流れていた。
この曲は、あまり有名でない曲である。20番台の協奏曲だと20番・21番・23番あたりは有名だが、22番は知名度に劣り、演奏機会も少ない。

しかし、これが素晴らしい曲なのである。クラリネットを用いた当時としては斬新な編成(しかもオーボエがない)で、ピアノとオーケストラとの掛け合いが印象的だ。
変ホ長調という輝かしい調性から喜びが溢れてくる。サロン的な気品がありながら、素朴さ・無邪気さも失ってはいない。内省的な二楽章も、非常に良い。
またこの曲はモーツァルト自筆のカデンツァがなく、その選択が奏者に委ねられているところが、かえって面白いと思う。

史上屈指のモーツァルト弾きである内田光子の流麗な演奏、凛々しさと優しさに溢れるブレンデルの演奏などが有名だが、ここは敢えてゲザ・アンダの演奏を推す。


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ゲザ・アンダと言えば、バルトークの協奏曲を以前紹介した。


tonpeym.hatenablog.jp


バルトークを弾くアンダは、迫りくる死の圧力を淡々と制するかのような、律動と内燃を両立する感情を見せた。
一方のモーツァルトでは、幸せオーラ全開で歌いまくっている。曲の違いもあるが、同じ人の演奏とは思えない。
これがアンダの魅力であり素晴らしさであるとつくづく思う。

ピアノという楽器の音の出し方は、言うまでもなく鍵盤を叩くことだ。
しかし同じ人が違う曲を弾くだけで、音が違う。多分一生かかっても、この不思議を味わい尽くすことはできないだろう。