運を支配して勝ち続けた男、宿澤広朗さんについて
僕が尊敬する、宿澤広朗さんについて紹介したい。
宿澤さんは、今風に言えば二刀流プレイヤーである。彼が携えた2つの得物はラガーマンと銀行員だ。
ラガーマンとしては日本代表のスクラムハーフで、引退後は全日本や早稲田大学の監督、日本ラグビー協会の強化委員長などを務めた。銀行員としては、49歳で住友銀行の役員に抜擢され、専務取締役まで昇進した(在職中に逝去)。
3年前、ラグビー日本代表はW杯で南アフリカを倒すという歴史的快挙を成し遂げたが、それまで日本はW杯7大会、28年間で1勝しかしたことがなかった。
その1勝は、宿澤監督の時に上げた勝ち星である。わずか38歳で代表監督になり、W杯の時はまだ41歳。住友銀行の部長代理(W杯時は次長)との兼務であった。
日本最高峰のリーグであるトップリーグも、宿澤さんが日本ラグビー協会にいた頃に作ったものである。存命中に「エディ・ジョーンズを監督にしろ」と言っていたことも、本に書いてあった。3年前に南アフリカを倒した時の監督(ヘッドコーチ)が、そのエディ・ジョーンズ氏である。慧眼なんてもんじゃない。10年先まで見渡しているようである。
現代ではダイバーシティや働き方改革が叫ばれているが、このように巨大なスケールを持つサラリーマンが出てくることは稀である。
僕はサラリーマンなのだが、宿澤さんのような存在にあこがれる。自分の周りを見ても、強力な人間は個の力がとにかく強く、それを組織のために全力で使う。オフでも力強い。
そして、意外とオンとオフという二つの刀は別々に動いている。宿澤さんも、「銀行は日常で、ラグビーは非日常だ」というコメントを残していた。二つの刀は相互に作用するかもしれないが、それはあくまで結果として、である。
宿澤さんはサラリーマンの究極系だ。その発言は淡々としていて論理的で、しかし熱い。ラグビーの精鋭と、銀行の巨大組織両方を指揮した手腕は本物だ。
組織のマネジメントや勝負に勝つための戦術・戦略に言及した内容は、本当に興味深い。
宿澤さんの信条は「努力は運を支配する」「勝つことのみが善である」であるが、まさに運を支配し、勝ち続けた男である。
ただ、人間の生死という運命には逆らえなかった。55歳という年齢で急逝したのが残念でならない。
彼の生涯に関しては「宿澤広朗 運を支配した男」「宿澤広朗 勝つことのみが善である」

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略歴
1950年 誕生
1969年 熊谷高校卒、早稲田大学入学
1970年 ラグビー日本選手権優勝
ラグビー日本代表(~1975)
1971年 ラグビー日本選手権連覇(史上唯一の大学連覇)
1973年 早稲田大学卒、住友銀行入行
1989年 資金為替部上席部長代理兼ラグビー日本代表監督(~1991)
1994年 大塚駅前支店長兼早稲田大学ラグビー部監督(~1995)
2000年 執行役員
日本ラグビー協会強化委員長(~2003)
2003年 常務執行役員
2006年 専務執行役員
死去(享年55歳)